History
歴代モデルからみる、ルノーの歩み
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パリ北部の自動車会社で働いていた青年ルイ・ルノーが、オリジナルの車を作ったのは21歳の時。入り組んだパリの道を行くのにほど良いサイズの小型車を、「ヴォワチュレット(小さな車)」と名付けた。ルイはクリスマス・イヴの夜、自慢の新車がモンマルトルにあるルピック通りを登れるか、友人たちと賭けを行った。1.75馬力のコンパクトなエンジンと運転の快適さを併せ持った、人目を惹くシックな二人乗りオープンカーが、祝祭で賑わうモンマルトルの急な坂道を登っていく。それは、当時の技術では到底無理だと思われていたことをルイが成し遂げた瞬間である。立ち会った12人がその日のうちに発注をし、「絶対に欲しい」と前金を積む人もいたという。それを元手にルイと2人の兄が立ち上げたのが、自動車製造業「ルノー・フレール社」だった。
最初のアトリエは、パリ郊外ブローニュにあるルノー家のガレージ。「タイプA」と名付けられた初代機は71台生産された。ルイと兄のひとりであるマルセルはこのモデルでカーレースにも参戦し、3回の優勝を飾っている。
偉大な遺産であるタイプAのレプリカは、フランスのルノー・ガレージで今も健在。パレードや展示会で世界を巡り、歴史の始まりを今に伝えている。
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ルイ・ルノーが第1号車を発表してから約20年。20世紀初頭の自動車は大型化・高級化が進み、一般市民には手の届かない存在になっていた。第一次大戦後の復興で市民生活に余裕が戻ると、ルノーは大衆向けの小型車を発表する。折しもヨーロッパ中で、労働者の有給休暇とバカンス文化が広がり始めた頃だった。コンパクトカーの礎となったこのモデルを「戦前のトゥインゴ」と呼ぶ人もいる。
ボディカラーや3シート対応などオプションを充実させたタイプKJ1を筆頭に、ルノー社の年間販売台数はこの年、2万台を突破。自動車の大衆化に大いに貢献した。
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第二次大戦後、再開第1回目のサロン・ド・オートモービルで発表されたモデル。戦争に疲れ、平和を求めてやまない人々にとって、なだらかでエレガントなフォルムのルノーは穏やかな新時代の到来そのものだった。量産型とラグジュアリー・モデルの2タイプが製造され、雪山レース・アルピーヌでも勝利を収めている。
このモデルで戦後復興の緒に就いたルノーは、年間販売台数6万8千台を突破。戦後に再生したビヤンクール工場の隆盛を象徴する存在として、今も語り草になっている。
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大容量かつコンパクト。あらゆるシーンで使い勝手の良いルノー4は、20世紀後半のカーライフを代表する車の一つだ。1961年のリリースから1992年までの30年間、800万を超えるルノー4がルノー工場から世界各地のドライバーへ届けられた。
その成功の余波で、様々なオプションやコラボレーションモデルが多く実現した型でもある。フランス国内では、郵便局や憲兵隊(国家警察)の御用達に。La
Poste(郵便局)と刻まれた特徴的な黄色い車体は、フランス映画の名脇役にもなった。
ウーマンリブ運動の華やかなりし1963年には、女性誌『ELLE』の読者に48時間ルノー4を貸し出すという「エル・オペレーション」を開催。人の未来のヴィジョンを描く、ルノー哲学を象徴するイベントとして記憶されている。このルノー4のエスプリを現代に引き継ぐモデルが「カングー」だ。
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ルノー4と同時期に大衆に愛され、20世紀後半のルノー黄金時代を築いたモデル。「万能カー」であるべく設計され、都市・田園のロケーションを問わず、幅広いドライバーに愛された。鮮やかなカラー・バリエーションで女性や若者の顧客を多く引き寄せ、それまで壮年男性が主流だったルノーユーザーのプロフィールを一新した。
フランスの他ベルギー、イラン、南アフリカなど世界8カ国で生産され、その出荷台数は20年で900万台という、脅威的な数字を誇っている。
1990年にリリースされて以来、時代のニーズに合わせたモデルチェンジでブラッシュアップを続けるルノーのスター的存在が「Clio」だ。そのハイパフォーマンスで大衆車の域をやすやすと越え、スポーツタイプやラリーカーなどの派生モデルも生み出した。デザイン面でも評価が高く、過去2回、ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。日本のリリース名は「ルーテシア」、これは中世のパリの雅名からつけられた。
最新型は2012年発表のClio
IV。歴代モデルはそれぞれ数百万台を売り上げ、販売期間の最も長かった3代目モデル(1998〜2012)は14年間で560万台を売り上げ、世界の道を駆け巡っている。
1993年に販売された限定車クリオ
ウィリアムズは、実は中古車マニアには垂涎の的でもある。生産開始から3800台目までにシリアルナンバーが刻まれており、今もコレクターたちが血眼で探している。
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1992年にリリースされたトゥインゴは、ルノーの主要顧客であるパリジャン&パリジェンヌのニーズに徹底的に答えるために作られた。3ドアながら広めに設計されたバックシートは左右切り離してのフラット化が可能で、身軽な都市生活者にとって「必要な時に、必要なだけの収納」を実現。入り組んだ小道もきびきびと走り抜ける小回り重視の性能で、ルイ・ルノーが手がけた第1号モデルの伝統にオマージュを捧げる。初代モデルはコロンと丸みのあるフォルムやライトデザインから「カエルちゃん」の愛称で親しまれ、10年のリリース期間で250万台以上を売り上げた。若いパリジャン&パリジェンヌの「初めてのクルマ」、もしくは家族のセカンドカーとしても人気が高く、都市向けコンパクトカーのベストセラーとなっている。
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